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2012年1月21日 (土)

自分の死後,残したアカウントの話【前編】

【プレジデント オンライン】版に面白い記事が。

『自分が死んだらGmailに溜まったメールはどうなるか~秘密と相続~』

話はインターネット利用初期,ニフティ・サーブ(NIFTY-Serve)時代に遡ります。

皆さんはインターネットを使い始めてどれくらいになりますか。

記事と直接関係はないのですが,40歳代の方々には少し懐かしい話。

私が最初に通信モデムを買ったのは通信速度1200bpsか2400bps(今ではありえないスピード!)の時代で,実際には低いスピードで接続しないと文字やデータが化けて判読できないことも初期は多かった。(さすがにカプラー通信の時代ではない)

NIFTY-Serveでフォーラム(今の掲示板)にアクセスしたり,CompuServeにtelnet(?)でアクセスしてました。

キャンプやスキーのフォーラムに出入りして,オフ会も出ていたし,文系で技術的な事に弱いのでPC関係はフォーラムで質問していた。

通信料金節約で,「テレ放題」なんていう契約をしていた頃もあったなぁ。

『ピィ~ギャ~~~』というコネクト音(FAXの最初の音です)で繋がって,通信している間,ディスプレイに文字が流れるのを目で追えた時代だ。

90年代ににシャープの電子手帳『ザウルス』を2台使用していた時期があり,MI-10MI-610DC(カメラ付き)※実際の価格はかなり安かった。

フルセットだとこんなのでしたが,西ももは「本体+カメラ」仕様で,公衆回線でモジュラー接続したり,少し後だとPHSや携帯に接続してデータ通信も楽しんでおりました。ザウルス一台で海外からも公衆電話回線でCompuServeアクセスポイントからサーバーにアクセス出来てましたから,考えてみればすごい時代です。通話でなければ立派に全世界ローミングが可能だったわけですから。

今でこそ『スマートフォン』時代ですが,その基本機能(特に仕事をする上での機能)は,ほぼザウルスが持っておりました。簡単な文書作成,スケジュール管理,辞書機能,ウェブ閲覧,メール,写真,動画そしてニフティサーブと,『スマホ』となんら遜色はなかったです。

一般的な大流行ではなかったのですが,シャープさんは時代の先をいきすぎていた,という想いが今でもあります。

それは現代のデジタル機器の『ガラパゴス化』へと繋がったのかもしれませんが,シャープを始め,日本の電気機器メーカーの実力は今だに誇っていいものだと思いますぞ。

2000年に入ると,「携帯の高機能化→スマートフォン」でして,ザウルスやブラックベリーなどのいわゆるPDA路線は亜流になってしまいましたものね。

次の時代は,西洋的な発想での技術だけではなく,中東を始めとするイスラム世界的な発想での技術・サービス開発だと,個人的には思っておりまする。(ドバイに投資せよ,ということではない)

話が長くなりすぎて,テーマがそれたので続きは次回。

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コメント

今は繋ぎっぱなしですけど、その頃は、夜23時以降はテレホーダイの時間帯なので、結局つながらないままリダイヤルの嵐・・・ということもあったと思います。

当時、仕事の関係でPHSを使わざるをえない状況で、アステル(わかるかなぁ)と契約してました。
でも、XーJACKというアタッチメントつけて、マックのノートとPHSをつないでパソコン通信していました。
その頃の28800bpsは、セルラーとかの9600bpsを越えていたのが、唯一の優越感だったかも・・・


・・ということを思い出すと、いまだに腹立たしいNTT。
ADSL環境が韓国あたりではどんどん整っていたのに、自社のレガシーな「ISDN」を守るが故に、全然提供できなかった90年代。

だから、ドコモも大嫌い。

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