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2012年4月25日 (水)

京都・亀岡の惨事に思う

残念なことだが,ああいう人間が存在するのが現実なのである。

私の場合命まで奪われなかったが,「何でこんな所で,こんな人に」は同じだ。

運転者が×なのもだ。

道路というものは大なり小なりの「危険性」は存在していて,時として「この道,ひよっとしたら・・・」という場所はある。そして,危険性ははらんでいても,不審者対策・性犯罪対策として交通や人気の多い道を選択しているという面もある。市街地では裏道は逆に危ないのだ。

小学校の通学路も同じで,自分の娘の通学路だってひとっつも安全ではない。いつ何がおこってもおかしくない。歩道だって単なる白線だったり,せいぜい15cm位の段差だったりする。

あとは確率の問題だ。

このところ,通学路での惨事が多いので,そのうち集団登校の是非が議論される段階が出てきそうだ。

ところで,集団登校は任意参加である。訳あって単独登校も,保護者の送り迎えも可能である。

我が娘の登校班は数年前問題が多く,他の子供の安全に責任は持てないので,二人だけで登校することを提案したら,担当のPTA部員と小学校が慌てて問題となる集団と切り離し,班を保持することになった経緯もある。

例外は極力作りたくなく,何とか登校班という形態を保持したいという思惑もあるわけだ。

生命にかかわることは費用がかかっても優先すべきことだ。

今回の事件のような事態が連続すると,次は諸外国のように公立学校も「スクールバス」形式の形態を模索することになるかもしれない。(スクールバスは抜いてはいけない,ってのは素晴らしいことだと思う!)

個人的には,子供に「列になれ,並べ,喧嘩をするな,黙れ,安全だ,信号だ,早く行け,歩け,不審者には注意しろ」とまくし立てる前に,雇用政策とも絡めてスクールバス形式にした方がよっぽど子供の命は守れると思うのだが。

いくら安全指導をしたって,集団で歩いている限り,今回みたいな惨事はまた起こる。

米・加・英などで見た限りでは,安全上は何も問題はなかった。運営上は何かあるのかもしれないが。

それにしても,今回の3少年を中心とした輩の行動は許せない。

日常的な無免許運転,事故後の彼らの対応。あの連中の行動を容認し,彼らを生み出した周囲の大人の責任は大きい。

法律で裁いて負わせることのできる罪は限りがある。親としては「死をもって償え」は当然。

私も気持ちのうえでは同じだ。

でも,路上には思っている以上に,たくさんの無免許運転者がいることも知ってほしい。

無車検,無保険の車も多いのだ。

人を傷つけても,命を殺めても,反省もなく謝罪もしない人間もいるのだ。

残念だが,それが世の中だ。

決まったことばかり守れる人間ばかりの世の中ではない。


新聞では実名は出ないが,さすがインターネットの世の中。

本名も,関係者が通っていた専門学校,大学の名前も流布している。

運転者は無職だが,同乗者の京都理容美容専修学校なんかは評判ガタ落ちでこれから大変だろう。

現場にいた関係者の「彼女」ということになっていた女の子のプリクラやキス写真が流れまくり。

mixi,facebookなどに残す内容は,ほどほどにしておこう。付き合う相手もよく考えて,残す写真も考えようぜ。

まあ,それも考えないで付き合っているだろうが。

申し訳ないが,彼らにまったく同情はしない。

自業自得だ。

何でもかんでも,SNSやプロフににアップしておると,こういう事件の当事者になると一気に広まり,一旦アーカイブされたりデジタルデータで漂流し始めると,死ぬまで消えることはない。交流のあった人間関係が一気に突き止められるわけだし。

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コメント

モラルなんてもんに依存できない以上,『攻めの守り』にならざるをえないのかなぁ。残念だけど。

ある意味何となくモラルに頼りきっていたのを,具体的に明文化して意識に訴える時代なんでしょうね。

それでもすべて守りきれないのが,世の中ですわ。

現実。

ウチの子供の通学路は、小学校までの距離の半分以上は今度の事故の道よりももっと細く、水路があり、通勤のクルマは自主的に一方通行みたいに譲り合っている箇所もある。
道幅を広げて、走りやすくすると、かえって通行するクルマの速度をあげてしまうかもしれない、というジレンマ。

祇園通りのてんかん患者の事故(というよりは殺人事件ですね)でも思ったけど、本人が悪いのは言うまでもないが、周りの人がどうして止められなかったのか。
さすがに自分の子供には、最後はキツくは言えないのはわかるが、それでも、こうやればこうなる、という想像力に欠ける人間が多すぎる。

今回の亀岡の事故でも、クルマを貸した人間も、立派な罪人。きっと、運転していた少年と、暴走の途中携帯で話してた(であろう)友人も同罪。

飲酒運転で人を撥ねた人が宴会帰りだとして、宴会を主催した人・飲酒状態で帰るのを黙認した人も訴えられることもある現実。

どうか、こんな事故の罪を下すとき、その罪を放任した人にも、罪があることをしっかり断じた判決であることを願います。
それが今後の事故抑止につながる。


そういえばマスコミの対応も、非難されてましたね。
ケガ人が運び込まれた病院にズカズカと入り込んで、被害者の気持ちも考えないで取材してたとか。
これはまた違う話だけど。

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