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2015年10月19日 (月)

ハンセン病患者の高校②

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岡山県立邑久高等学校, (定時制課程)新良田教室。

長島愛生園歴史館

昭和30年開校,62年閉校。

卒業生は397人。

政府の患者隔離方針により,学ぼうにも学べなかった若者の要望に応えて出来た,国内唯一の高校だった。

http://ww32.tiki.ne.jp/~jitikai/niirada.htm

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/dl/4a23g.pdf

全国の療養所から集ってきた生徒は,寄宿舎に入り学校に通うのだが,病気のことが詳しく解明されていなくて治療法も確立していなかった初期の頃は,先生も白衣&防護服,職員室に生徒が入ることは許されないという,今では信じられ無い対応だった。

現在は愛生園内に校舎跡が残り,建物もごく一部残されているのみ。

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西もも@は,閉校時頃に教員をしておられた方を2名知っていて,当時の話を伺ったことがある。

最初はなかった修学旅行が出来たこと,一緒に旅行を引率した思い出。

ギターを弾いて一緒に歌った英語の授業,通勤のことなど,貴重な経験を聞かせてもらったことがある。

生徒さんはやはりひと癖ふた癖ある個性豊かな人が多く,印象に残る生徒がたくさんいたそうだ。

今では考えられないことだが,教員免許を持っていない人や,専門教科外で授業をすることもよくあったそうだ。

卒業生の7割以上の方が社会復帰を果たされた,という記録があるので,高等教育機関としてはしっかり機能を果たしたということだろう。

校舎跡には,閉校時の碑が残っている。

学校の記録資料を残すことに尽力された先生だそうだ。


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夕暮れ時の海辺で少し校舎跡を散策し,当時の先生方や生徒さんに想いを馳せて帰途についたのだった。


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邑久町長島方面に行く機会がある方は,少しお時間をとって愛生園奥の校舎跡に足を伸ばしてみてください。(実は特に許可無くても学校跡には行ける)

校舎前の海で,先生と生徒が一緒に釣り糸を垂らし,釣れた魚やとった牡蠣をを一緒に食したなんていうこともよくあったそうです。当たり前ですが,そんな変わらぬ瀬戸内海はそのままです。

長島は今,ハンセン病隔離政策という,日本の負の遺産を協調するだけはなく,これからの未来を見据えての動きがいろいろと始まっているようです。

療養という目的以外の利用も考えての建築も進んでいるようですよ。

ところで,学校跡地の前に,案内の看板が立っています。

「新良田高校」と書いてありますが,ちゃんと歴史を反映した表示に直したほうがいいと思います。

「世界遺産に・・・・」なんて話も聞きましたが,地元(たぶん県か国の仕業?)の認識がその程度ではね。

そんな高校はなかったんですから。

日本でたった一校の,ハンセン病患者が通える高校,新良田教室。

そんな高校が瀬戸内氏の邑久高校分校として存在したのですよ。

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ご存知の通りハンセン病は後遺症というものが目に見える形で残った方が多い。

だからこそ「恐ろしい病」という扱いが長かったのだと思う。

特に顔面に残った方は,それだけで偏見を受け続けてきたはず。

今回西もも@が出会った方は,発症したものの後遺の程度は小さかった。

だからこそ一旦は社会復帰され,運送関連の仕事も出来たし,その運転技術を活かして園内で運転講習をしたりしたそうだ。

でも,実家のある親族からは「存在しなかった」扱いをされ,こっそり帰ってみたら自分が入るはずだった墓も消滅していたそうだ。

「腹がたったが,自分はもうここには帰れないのだ」と思ったそうだ。

退職後,元患者として国の対応が充実しているというのもあるが,終の棲家として長島を選び療養所に戻ってきた。

この地で奥様(同じ元はくハンセン病患者)と余生を送るつもりだそうだ。

つらすぎる過去はもうどうにもならない,楽しく静かに最期を迎えたい,そんな気持ちが話しの端々から感じ取れた。

「突き抜けた明るさ」はそこから来るのだろう。

奥様は園内の文化講座や女性同士の交流会に余念がない。

それでも,高齢者が多いせいか光明園内は行き交う人も疎らで,ポカポカ陽気でも外は静かでした。

「らい病」とうのは現在でも世界中には存在する。

「らい菌」だって,普通の細菌・ばい菌と同じでそこら中に存在する。

発症する要因はの多くは栄養の貧困さからくる免疫低下など。

インドがもっとも感染者・患者が多いのだが

隔離政策を国をあげてとったのは日本だけ。

恐ろしいもの,未知のものに対する恐れや偏見から当時の医療関係者や国会が突っ走り,人を人して扱わない大失敗を,過ちをおかした。

同じような過ちを今の私達もしていないか。

僕は自信がない。

下手をすると自分も同じように,偏見からくる勝手な判断をしているかもしれないな。

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コメント

30年前に普通に理解しなさいと言われても,難しかったと思います。

今,僕たちにできることは「知ること」です。

時既に遅し,の感ありますが,無駄なことは全く無いと思います。

過去にこういう失敗があった。

今もその翳に暮らす人も沢山いる。

偏見ってのは,年齢が上がると消すのがむずかしいですが

若ければ若いほど,ありのままの真実を受け入れやすいと思います。

瀬戸内の話ですが,「きょうてぇ,長島やこう行くな」「そがあなところで看護士やこうするな,死ぬるぞ」という年配の方を諌めるのは,小学生・中学生だったりするそうです。

そういった話だけでも,入所者の方の心は少しでも晴れるそうで。

歴史館もいい場所ですが

直接話す機会がもしあればぜひ。

今回,私は気持ちの上で大きな転機となりました。

ここは仕事で何回も渡りました。
若いころです、目の前なのに橋がなくてフェリーで5分程度かけて渡っていた記憶があります。(鮮明に残っています)
フェリー乗り場から病院まで距離があったのと仕事道具の都合です。

島から離れたくて何人もの方が潮流に命を落としたと当時聞きました。
30年近く前のことですが、島へ行けば毎回ハンセン病の方をお見掛けしてました。
自分も若く病気がうつらないかと心配し、仕事を片付けて本土に戻れば胸をなでおろしていました。
当時は情けなかった自分です。

橋が架かってからは3回オートバイで渡りましたが歴史観へは入った記憶がないのでこんど行ってみます。

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